こんなにある、ゲーム機対応の周辺機器

こんなにある、ゲーム機対応の周辺機器

サテラビューファミリー

ファミコンから受け取れるデータ放送サービス

ファミコンからデータ放送サービスを受け取ることが出来る周辺機器も存在していたんですね。関心しながら紹介するのは『サテラビューファミリー』という、スーパーファミコン向け衛生データ放送だービスを受信するための衛生モデムだ。この当時、データ放送は1998年度までは、任天堂とBSによるデジタルラジオ局の衛生デジタル音楽放送により共同で、1999年度からは衛生デジタル音楽放送が単独で主にゲームソフトを配信するといったサービスを行なっていた。サテラビューとは機器の名称となっているが、この機器で受診できたデータ放送サービスも度々この名詞で呼ばれていた。

マジコンって・・・

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概要

こうした機器が開発された経緯について始めていこう。もともとは1984年に打ち上げられた放送衛星、並びにその衛生により実施された放送は、通常のテレビ放送だけでなくファクシミリ放送、データ放送、ハイビジョン放送といった多彩なサービスを視野に入れて開発・実施されることとなる。期待されて始まったコンテンツだが、当初は放送電波のデジタル放送帯域はデジタル音声放送のみに限られていたこともあった。またデータ放送は当時郵政局によって事業としてのめどが立つ事業者だけに免許が与えられていたという、一般的な知名度を考えたときには普及するには時間が掛かるのではないだろうか、という見方も出来る。魅力あるサービスではあったが、採算が取れなければ元も子もないため、希望している事業者達は参入しようかどうかを悩みに悩んでいた。

1990年からWOWOWと共有して独立音声放送を実施したセント・ギガは経営悪化の窮地に立っていた。そんなセント・ギガに救いの手を差し伸べることになったのは任天堂であり、子会社に任天堂ギガを設立すると共にセント・ギガ自身に資本参加して、データ放送事業の計画を公表するのであった。ラジオ放送を保管する文字画像情報のほかに、ニュース・天気予報・教育番組やカラオケ番組などの配信が予定されていたが、ゲームソフトの放送は法規制や技術的面からすれば、当時ではまだ実現するには不可能とまで言われてしまったのだ。衛生データ放送は1993年から郵政省の諮問機関による答申が行なわれ、1994年に正式制度として認定された。翌年にはセント・ギガのデジタル舗装帯域を使用して、任天堂がコンテンツを供給するプランが認可されたことにより、セント・ギガに対してようやく放送免許が交付されるのだった。内容も計画当初予定されていたものはほとんどやらず、ゲームソフトを中心として娯楽放送を実施することになった。

技術

BSアナログ放送の電波は、1チャンネル27MHzあたり以下のように配分されている。

  • 映像部 - この部分はWOWOWのテレビ映像信号が使用しており、地上アナログ放送波で使われていたNTSC信号が17MHzの帯域を使って4.5MHzまでの信号がFM変調されていた。
  • 音声部 - この部分は地上波とは違い1秒あたり約2Mbのデータが送られており、6.5MHzの帯域を使いDQPSKによって変調されていた。Aモードの場合、32kHz10bit(14bitから準瞬時圧伸)で収録されたPCM音声4チャンネルと約480kbのデータ放送が利用できた。音声部分はWOWOWとセント・ギガが共用した。
  • デジタル音声1 - WOWOW主音声(ステレオ設定時:WOWOW左音声)
  • デジタル音声2 - WOWOW副音声(ステレオ設定時:WOWOW右音声)
  • デジタル音声3 - セント・ギガ主音声(ステレオ設定時:セント・ギガ左音声)
  • デジタル音声4 - セント・ギガ副音声(ステレオ設定時:セント・ギガ右音声)
  • データ部 - 衛星データ放送では、第5チャンネルのこの部分をゲームデータの送信に使用した。

こうした任天堂は衛生データ放送の実施に先立ち、セント・ギガに割り当てられたデジタル放送データ部を通じて受診したデータをスーパーファミコン上で実行する機能と、セント・ギガのラジオ音声とスーパーファミコンの映像や音声を混ぜると同時に、テレビへ出力させる機能を備えた専用周辺機器を完成させるのであった。

サービスセンターの運営、機器販売の開始

1995年2月13日から本体の通信販売、受信機器の接続方法や放送内容などの問合せに応じるための電話窓口となる『任天堂サテラビューサービスセンター』が設置され、任天堂と共にセント・ギガへ資本参加したベネッセコーポレーションが共同運営していた。

任天堂はこれと同時に専用カセットなど受診に必要な機器をまとめた『サテラビューセット』の通信販売を開始、価格は18,000円となっていた。当時、大ヒットしたゲーム『クロノ・トリガー』のも同梱されている限定版が発売され、店頭などで配布していた小冊子、もしくはゲーム雑誌に綴じ込まれている注文ハガキなどを使うことで発売を行なっていたが、店頭では販売は実現することは無かった。

衛生データ放送サービス開始

1995年4月23日より、セント・ギガ衛生データ放送スーパーファミコンアワーの名称で、衛生データ放送サービスは開始された。広告収入による無料放送の形態で始まり、データ放送を受信するには受信機器を揃えるだけで良い。セント・ギガとの受診契約や有料放送を受信するためのデコーダーはなどが必要としないということもあり、手頃といえば手ごろで楽しめる仕様となっていた。

放送は毎日ヒル12時から深夜2時まで行われ、1時間当たりゲームや文字情報番組を交代で多くて3番組を放送し、一部時間帯を除いて番組ガイドを譲治配信する編成を基本として、夕方を中心とした数時間の間、同時に放送されるラジオ番組とデータ番組を連動させる『音声連動番組』の時間に割り当てられることになった。セント・ギガのラジオ放送は有料放送のため、通常はスクランブルが掛けられており、加入者以外は聞くことさえ出来なかった。しかしこの音声連動番組の時間帯は無料のノンスクランブル放送で行なわれており、セント・ギガとの契約、及びBSデコーダーの有無、サテラビューの有無に関わらずにラジオ音声を聞くことが出来た。スーパーファミコン向けにソフトを発売した主要サードパーティー各社も積極的に関与しており、スクウェアは『クロノ・トリガー』のサウンドテストなどでも番組を放送したり、ラジオ番組にはスタッフがインタビューに出演したりするなど、自社の製品の宣伝をしていた。

一方でアスキーでは、サテラビュー向けユーザーに対してゲームソフトを供給した他、放送開始と共に『月間ファミコン通信攻略スペシャル』の増刊、姉妹紙として、データ放送の番組表や放送されるゲームの内容や攻略情報、番組出演者へのインタビューなどを掲載した月刊誌『サテラビュー通信』が刊行されていた。

ハドソンはサテラビュー専用に供給したゲームソフト『鮫亀』のテレビCMの製作から放送まを行なっており、この放送の中で店頭では売っていないソフトなどを告知するといったこともしていた。

広告素材では衛星放送による新サービスであることを強調した『宇宙から新しいゲームが降り注ぐ』というコンセプトの下、視聴者が参加する放送であることを締める『聴く、見る、遊ぶ、参加する!!』の四か条をキャッチコピーとして、世界初の衛生データ放送として説明をしていたが、普及する発端とはならなかった。

普及しなかった原因

この頃なら私も丁度スーパーファミコンをプレイしていたが、サテラビューという機械も名前も耳にしたことは無い。まだ小さかったこともあり、存在すら認知していないというだけでも、やはりメーカーだけがどこか浮世絵を離れた盛り上がりを見せているだけで、実際にユーザーたちからは冷たい反応が帰ってくるというのが実情ではないだろうか。もちろん流行らなかった原因としては様々な要因をあげることが出来るので、順を追って説明していくことにしよう。

煩わしい販売形態
まず流行らなかった理由としては、その販売形態にある。通信販売という、現代でこそ通信販売という手法が盛んになっているが、この当時は通信販売を行うことは本当に稀有なことであったために存在その者を把握していない人が多かった。その後一般販売にまでこぎつけたはいいが、一部店舗での販売ということも重なってしまい、世間的に流行っている言葉からは遠ざかることになった。
衛星放送を利用する困難さ
ファミコンユーザーが小学生を中心としている、このことから逸脱してしまっていることも大きいだろう。何より、BS放送受信機器という高価なものを、小学生が親に買うことを承認してもらえるかということでしか変えないほど、高い買い物は小学生ではまだまだ出来なかった。放送自体は無料ではあるものの、機材一式を全て揃えるとなれば、高額なお金が必要となってくる他にもデジタルデータの再放送が出来ない当時のケーブルテレビや一部の共同住宅では受信できないということもあった。
やる気の無い広報活動
根本的な問題として、元から売るつもりがあったかどうかという問題にも関わってくる。雑誌広告では放送開始以前から長期にわたって宣伝を行なっていたが、テレビなどのCMではゲームソフトと同様に1ヶ月程度しか放送を行なわず、市販スーパーファミコンソフトへの広告資材封入は『クロノ・トリガー』『スーパーマリオ ヨッシーアイランド』という、ほんの一部の商品でのみ実施されていただけになっている。これで本気で流行らせようと考えているのなら、まず流行ることはないだろうという戦略を立てたものだ、と思ってしまう。
次世代ゲーム機の台頭による、ファミコン市場の縮小
データ放送開始時点では競合他社から、現在世界的シェアの半分を占めているプレイステーションなどの次世代型ゲーム機の流行により、ゲーム業界やファンの興味はそれらのソフトや価格競争に推移してしまう。任天堂もNINTENDO64を発売するなど、発売もとそのものが市場を縮めようとする動きもあったために、余計に拍車をかけることになった。

サテラビュー向け事業の縮小と新たな事業計画

市場の規模は縮小してもデータ放送は続けるといった、どこか矛盾を感じる営業を続ける中各メーカーも見限りを始めていった。まずはアスキーが『サテラビュー通信』を放送内容の縮小を理由にして廃刊し、その後任天堂サテラビューサービスセンターが業務を終了するまでになり、その後番組放送内容に関してはセント・ギガが、受信機器に関して任天堂がそれぞれ個別に対応することになった。

この年任天堂は野村相互研究所、マイクロソフト株式会社と共同で、セント・ギガのデータ放送とインターネットを融合させたWindows機向けの情報サービスを提供する計画を発表するも、1997年に計画を白紙撤回することになるのだった。

セント・ギガと任天堂の決裂、そして終了

もはや衰退を続けている中、1998年に任天堂は京セラと提携し、BSデジタル放送及びテレビ放送への進出による更なる事業拡大で乗り切る計画を発表するも、資本減少を伴うその手法にセント・ギガの前経営陣を中心とした株主らが反対したことにより、両者の関係は悪化の一途を辿る。この騒動の結末は、任天堂はデータ放送事業の継続を断念し、1998年度を持って番組供給を打ち切りを決定して、スポンサーから撤退すると共にセント・ギガ出向者と資本を引き上げるのだった。その後セント・ギガ単独で放送を続けていくことになるが、任天堂が撤退したことにより放送を続けること事態が困難となり、やがて新規のスポンサーを見つけることが出来ないまま、放送を終了することになるのだった。

こう見ると、本当に何がしたかったのかよくわからないまま見切り発車で企画がスタートしたことで、結局視聴者も置いてけぼりを食らってしまっているので、趣旨が一貫して見えない形での収束となってしまった。当時最新の技術であったことは疑いようがないものの、この放送を見ることでユーザーがどのような利点を得ることが出来るのかということが分からないまま終了してしまったため、時間と経費を無駄に消費することになってしまった、ということに行き着いてしまったのが現状だろう。何事も最新であれば良い、というわけではないということだ。

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