こんなにある、ゲーム機対応の周辺機器

こんなにある、ゲーム機対応の周辺機器

スーパー32X

コードネーム『マーズ』

少しコアな話もしていきましょう。現在の社名『セガ』も固定型ゲーム機を出して業界に参入しようとしていたことは、ご存知な方も多いでしょう。結果的にはよい成果になることはありませんでしたが、業界ではそれなりに期待感もあったのではないだろうか。そんなセガから出されたゲーム周辺機器はメガドライブ用の『スーパー32X』をご紹介します。商品のコードネームが『マーズ』という事で何だか格好良いですが、何だか今となっては少し滑稽な気もしますね。

製品の扱い方としては、機器に接続することで32bitゲーム機になる。背がサターンと同様に、メインCPUとして32bitRISCのSH-2を2個搭載しており、メガドライブのロムカセットスロットに差し込んで、同梱の中継ケーブルを接続して使用する。スーパー32Xを接続した状態からでもメガドライブ・メガCDの両ソフトを使用することが可能となっている。

北米でトップシェアを誇っていたGenesisの延命と、当時の北米でのライバル機であった任天堂・SNESに対するアドバンテージを企図して、セガ・オブ・アメリカの主導で発売されることになった。しかし既にメガドライブの次世代機サターンを開発していたセガ日本本社との齟齬が生じてしまい、市場の混乱を招いてしまうことになってしまう。

日本ではそもそもメガドライブ自体が普及していなかったために32Xは普及することは無く、欧州と南米においてもメガドライブ事態は普及していたものの、32Xは現地価格でそれほど安価ではなかったためにやはり普及しなかった。一方、Genesisが最も普及していた米国市場において32Xはかなりの不休を見せて、そしてその悪評のために、それまでアメリカで大きな支持を得ていたSEGAブランドは致命的なダメージを受けてしまうのだった。

結果としてSEGAはGenesisで獲得した市場を、セガサターンで得られるはずであった市場もろとも消滅してしまうのだった。

はい、なんとも悲しい結末を迎えることになってしまうのだが、ゲーム業界でもどんなに一流のメーカーあるからといって必ずヒットするということはないのだ。セガサターンが良い例だろう、ヒットしなかったことには様々な要因はあるものの、参入するタイミングによってはもしかしたら可能性があったのかもしれない。

マジコンって・・・

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歴史

この周辺機器の開発経緯については元々別のカートリッジベースの次世代機の開発を進行していましたが、CD-ROMベースの次世代機の計画に変更されることになって、本気の計画が指導することになる。プロジェクト名もこのときから『Project Mars』として命名された。

1994年の6月に開かれた『Consumer Electronics Show』にて、『poor man's entry into 'next generation' games』という名前で世間へのお披露目をした。当時、セガサターンを含む次世代機が高価だったために、価格が落ち着くまでの木間は既存の16bitプラットフォームを活用して32bitへの安価なアップグレードを行なうという位置づけにあった。こちらに32Xを搭載することにより、ライバルSNESに対して劣勢だったグラフィック性能で優位に立って、さらには当時の次世代機でフィーチャーされていた3DCGを扱うことが可能だった。

ソフトウェア供給はスーパー32X専用ROMカートリッジに加えて、32XとメガCDを同時に使用するスーパー32Xcd用CD-ROMを予定していたが、ソフト自体は欧米とブラジルのみで発売するのみとなり、日本では発売されることは無かった。

日本では1994年12月、セガ本社主導によるサターンのリリースの翌月にスーパー32Xがリリースされた。サキに普及していた北米とは異なっており、日本市場においてはそもそもメガドライブがあまり普及しておらず、周辺機器としてもそれほど安価ではなかったために、セガ日本本社としてもスーパーファミコンに大敗した旧世代機メガドライブのアップグレード機器であるスーパー32Xの販売拡張には消極的であり、1994年後半よりプレイステーションとの次世代機戦争が始まったサターンの大々的なプロモーションに完全に隠れてしまい、結果として普及することは無かった。その後日本の代表的なメガドライブ専門誌でもあった『Beep!メガドライブ』誌のみは、32Xをサターンと同じくらい大々的に取り上げていたが、同誌もサターンの発売と同月の1994年12月号より『セガサターンマガジン』と誌名を変更して、サターン専門誌として再誕することになった。

アメリカでも発売当初は商品を宣伝すると同時に、次世代機サターンの北米発売が1995年9月とすでにアナウンスされており、32Xへの参入を見送ったサードパーティーも多かったためにローン地帯トルコとそ少なかったものの『スペースハリアー』・『アフターバーナー2』・『バーチャレーシング』・『モータルコンバット2』の史上初のコンシューマ完全移植が用意された。セガ・オブ・アメリカがサターンの発売を遅らせてまで32Xのプロモーションを仕掛けたことと、1994年末の時点で北米シェア55%・約2000万台の普及台数を誇ったトップシェアハードであるGenesisの周辺機器ということも会って、クリスマスまでに50万台を売り上げる大ヒット商品になった。

『Atari Jaguarや3DO』といった『次世代機』が軒並み苦戦していたことと、SNESを擁するライバルの任天堂が1994年の年末商戦で目玉としたのが3DCGに対応した次世代機ではなくて現行機の範疇で3DCGを扱った『スーパードンキーコング』だったこともあり、セガ・オブ・アメリカはもうしばらく現行機の時代が続くと考えられていた。シェアで猛追するSNESをGenesisのアップグレードで振り切るためにもセガ・オブ・アメリカは32Xに非常に力を入れており、Sega Neptuneと称するGenesisと32Xの一体型機をも開発していた。しかしそんな力の入れ具合から考えても、世界的に見ればヒットしているということはなく、32X自体の売り上げはこの頃からソフトの発売も滞るようになってしまったことで、売り上げが低迷することになってしまうのだった。

こうした状況を改善するためにセガ・オブ・アメリカは方針を転換することを結成し、32Xの販売拡張を切り上げて、急遽日本本社が開発したサターンを投入することとなるのだった。1994年の年末商戦の時点でサターン一本に絞ってプロモーションを行なった日本に対して、北米では1995年の春の時点でいまだ3機種のプロモーションが平行しており、セガ・オブ・アメリカはローンチ前にサターンの十分なプロモーションが出来なかった。おまけに、セガ・ドライブ・アメリカはセガサターンの発売を当初の予定としていた9月から5月に早めたために、9月発売を目指してゲームを製作していたさーどパーティはローンチにソフトを揃えることができず、サターンはローンチに失敗した上に北米の有力サードパーティーからの反感を買ってしまうことになる。更にトイザラスなどごく限られた小売店でのみ限定発売するとしたため、サターンの先行販売から漏れたウォルマートやKBToysなどの大手小売店は激怒することになり、とりわけ後者は即座にセガ製品を店舗から全て撤去して、サターンの正式発売後も取り扱うことはなかったという。

1995年5月、北米でセガサターンが発売されることになり、サターンのローンチ後は北米のほとんどのサードパーティーは32Xゲームの開発を中止してサターン用ゲームの開発に切り替えたため、北米における商品のソフト不足が解消されることは無かった。また、セガは32Xを『32bit級』の性能であると主張していたが、セガサターンやプレイステーションなどの次世代32bit機が北米で出揃うに連れ、特に3D性能における32XNの性能不足が明らかとなってしまうのだった

その後も何とか製品の売上を伸ばそうと何とか検討することしたが、既にこの時には業界のシェアはプレイステーションとNINTENDO64に独占されていたので、市場への台頭は無く、そのままフェードアウトすることになってしまうのだった。

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